「日本語が話せなかった荒篤山関と、日本に避難してきたウクライナ人の交流。」
先日、市内企業のご協力で、横浜市内に避難しているウクライナ人が初めて国技館で大相撲を見学し、横浜出身の荒篤山関とも短時間ですが会うことができました。
また、先週は、荒篤山関に横浜のウクライナカフェに来ていただき、皆さんと交流をしていただきました。
「横浜出身の力士・荒篤山、ウクライナの避難者と交流 子どもたちを軽々抱っこ(カナロコ by 神奈川新聞)
https://www.kanaloco.jp/news/life/article-943290.html
荒篤山関は中学生の時にフィリピンから来日して、日本語が分からないまま、十日市場中学に入学し、友人や先生方に支えられながら中学を卒業し、すぐ荒汐部屋に入門しました。
横浜に避難してきたウクライナの皆さん、子供たちも、まさにそうした境遇なので、荒篤山関とウクライナの皆さんとの交流は、単なる相撲文化、日本文化だけの交流だけでなく、多文化共生の意味合いが強いものです。
荒汐部屋のおかみさんからも、ウクライナだけでなく、母国であるフィリピンをはじめ、多くの外国にルーツを持ち、日本に来て頑張っている皆さんの象徴に荒篤山関はなり得ると、常に話していました。
しかも、荒篤山関はいわゆる相撲経験者ではなく、全くの未経験で入門し(ご飯がいっぱい食べられるという理由で)、10年以上頑張って、関取に昇格しました。
ウクライナ戦争が長期化していますが、横浜に避難しているウクライナの子どもたちも、何名かは日本語が分からない中でも、横浜の公立学校に通っています。
恐らく、多くの不安を抱えながらも、子供たちなりに一生懸命努力しているのだと思います。
力士になって!という話ではなく、僕には荒篤山関の努力してきた姿が、横浜に避難してきたウクライナの皆さんと重なりました。
横浜市国際交流協会の理事長とも当日お話ししましたが、こうしたヒーローに多文化共生事業はもっと光をあて、今、汗や涙を流しながら頑張っている多くの外国にルーツを持つ人たちの励みとするべきだと思います。
外国出身の皆さんも、努力を重ねれば、様々な分野で日本で成功できるという姿をより多くの皆さんに見ていただきたいです。