ブームに乗らず、まったんから政策を貫きます。【みんなの党の分裂】」
今31歳の僕が政治家を志したのは、約20年前の小学校6年生のとき、「国民のために!」「いや、こっちが国民のために!」と国会議員が政党をつくっては分裂していった少数政党乱立時代です。
当時小学校6年生だった僕は、鳥合し、離散していく政治家の姿に、一種の胡散臭さを感じていました。
当時の国会では議員立法も少なく、学校で「三権分立」をちょうど習っていた僕は、この人たちは国会の機能である立法もせずに、なぜ政党ばかりつくっているんだろうと、当時の政治家の姿やその行動が国民のためではなく、自分のためとしか正直映っていませんでした。小学生ながら「こんなんじゃダメだ!」と思ったのが、政治を志す原点でした。
あれから20年が過ぎ、3年前に実際に議員にならせていただいてからは、いかに、当時の僕が政治家に対して思っていた「胡散臭さ」を脱し、議員立法や議会提案をもって、市会議員の本分を市民の皆さんに示せることができるかと、ルーキーながらに努力してきました。
1期生ながら、先輩と共に「資源ごみ持ち去り禁止条例」「横浜市災害時自助・共助推進条例」を議員立法し、議会基本条例、財政健全化条例の制定に着手していることは、まさにそこの問題意識からです。
僕ら地方議員は国会議員の集票マシーンではありません。地方分権を訴えながら今でも続く国会議員の地方議員に対するピラミッド支配が嫌で、大学の時から地方分権改革も勉強し、僕自身も、地元の衆議院議員である鈴木代議士とは、子分ではなくいいパートナーでいたいので、日ごろお互いが努力をしています。
そんな中、みんなの党が分裂し、特定秘密保護法案への対応や党運営などを理由に、「真に国民のために!」と訴え、国会議員と一緒に多くの地方議員も離党しました。
地方の時代を標榜する地方議員たちが、しかもどの政党よりも改革を標榜する議員たちが、自分の親分国会議員の流れで、こうも簡単に政党を変える。昔の自民党よりもわかりやすい単純な感情論で、昔と何も変わりません。こんなんじゃいつまでたっても地方の時代は来ないと思います。僕は昔から見ていたこういうのが大っ嫌いなので、政局の新党には期待していません。まだ自分の声は小さいかもしれんませんが、自民党の中でまったんから変えていこうと政治を志しました。
僕が所属する自民党議員団も絶対な存在ではありませんし、まだまだ変わっていかなければいけません。ただ、ブームに乗らず、ブレず、今年も地道に政策を前に進めていきたいと思います。まだまだ自民党の中では底辺ですが、今年もまったんから頑張ります。