2013年2月

「人のために生きる喜び。」

2月22日午前2時、大好きだった祖父が他界しました。

肺炎が再発し、去年から入院していて、1月には脳梗塞も併発し、86歳で亡くなりました。

両親が教師で共働きだった僕は、小さいころから実家に近い祖父の家に預けられました。保育園にも入所していましたが、当時は病弱で、保育園にもろくに行けずまた、小学校に入った後は、カギっ子にもならず、放課後は祖父の家に帰りました。

とても長い時間を祖父と祖母と過ごしたはずなのに、祖父から叱られたとか、何か格言を言われたとか、丁寧に指導をされたとか、何か具体的に教えてくれたとかいう記憶は、全くありません。

僕がどんなにわがままでも、常に僕に寄り添ってくれたことと、「ちゃんと食べなさい」「お腹はすいてないか」と、よく聞かれたことは覚えています。

優しく、寡黙で、真面目な祖父でした。もの心ついたときには、既に神奈川県庁を退職し、地元町内会の役員や、地元の吉原さとし議員の後援会役員を永い間務めていました。

地域の祭りでも、選挙でも、祖父はずっと物を書いたり、そろばんをはじいたりしていました。人が何と言おうと、会議の議論がどうあろうと、黙って自分の役割を黙々と続けていました。地域の子供が竹藪の竹を欲しがれば、切って自分でかついで学校に届けたり、小さいことでも、人から頼まれれば断らずに何でも黙って引き受けていました。

「重郎さん(祖父)は損している。」と周りから言われることはありましたが、祖父が黙って、地域のため、人のために働く姿を通じて、僕は、他人のために生きるということ、その喜びを、文字通り祖父の背中を見て学びました。

祖父からは「人(地域)のために生きろ」と言われたことはありません。

そんな祖父は、僕が議員になったことを誰よりも喜んでくれました。病室でも、ずっと僕の事を心配してくれてくれたいたようです。「剛は大丈夫か?剛は?」と繰り返し母に聞いていたそうです。

この年始にお見舞いに行った時、ほとんど何もしゃべれなかった祖父でしたが、僕の手をしっかり握りしめ、がんばりなさいよと言ってくれました。僕が僕が載った新聞記事を手に持たせたら、とても嬉しそうに、もう小さな字は見えないのでしょうが、必死で僕を探していました。元気なうちに議員にならせていただいたことが、僕としては何よりうれしいです。

今日、出棺の際に、お棺に僕の議員の名刺をしのばせました。天国で、じいちゃんが旧友たちと話をするときに、ポッケに僕の名刺を入れつつ、「実は孫が・・・・」と話すタイミングを謙虚に待ってる祖父の姿が目にうつります。

じいちゃんありがとう。調子に乗らず、地道にやるから。恥じないように頑張るよ。

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